モリさんのボドゲ戦記

勝つためのボドゲブログ

しゃなたそ2月卓を振り返る①1901年春

みなさん初めまして、モリさんと申します。

 

今日からしばらく、ディプロマシーの卓の振り返りをしてみようかと思います。

というのも、この卓は墺露同盟が6年間継続した卓であり、また両国共に残念ながら和平になるまで繁栄をほしいままにした卓であったため、記録の意味で振り返る価値があるのではないかと考えています。

 

<1901春外交>

1、墺露間の外交

 まず、1901春の外交から振り返って行きたいのですが、墺露の外交の滑り出しは悪くなかったかのように思われます。お互いのディプロ歴とオーストリアという国家に対する認識などについて意識を共有し、東欧三国同盟という奇策について雑談ながら話す、いい感触がありました。結果的にこの東欧三国同盟の仕掛けが、トルコ封じ込めの布石になっていたこともあり、幅広に東欧の展開について話し合えたことが両国の利益になっていたのかと思います。墺のロシアに対してだけ真意を打ち明けているような口ぶりも、かなり外交屋として優れていたように感じています。対外的に墺露をどう隠すか?という点についても、頭合わせができていたことも、足並みの強化に一役買っていたのでしょう。

 

2、露土間のやりとり

 一方で、露土間の外交は、いきなり黒海問題をどうするのかという重大な話題から始まりました。私としては、これから長い間やっていく方になるのですから、長期的な展望や互いのパーソナリティーなど、他愛もない話も交えて行きたいところだったのですが、突然難しい話を振られてしまったこともあり、ややテンション低めのやりとりで立ち上がった外交だったように感じています。

 

3、その他の国との会話

 独仏特に仏がなかなか期間中外交に浮上して来なかったことから、西欧の外交状況について有用な情報を得られなかったことを懸念しつつも、イタリアともトルコ攻めが選択肢にある旨了解していたため、基本的に楽観的に春の行軍を待っていた記憶があります。

 

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また、出てきた行軍結果が、西欧の早期決着を予想させるものであり、東欧がこれに対する対抗策を出す必要があったことも、建前上の東欧三国同盟及び実際上の墺露同盟の強さに寄与していたのだろうと考えています。