しゃなたそ2月卓を振り返る④1902秋
(1901春行軍と調整)
1、とことん組めない露土
さて、客観的に見ると、うちが墺にしてやられている形になっている。一応墺からはルーマニアは引くという話になっており、ロシアもそれを信じるしかないと言った情勢。
トルコはトルコで黒海を取りに行かなかったことを墺から非難されており、情勢的には露土協力が成立しても悪くないところ。
しかし、まず露土はアルメニア陸軍の問題を解決しつつ、黒海の領有を決めなければならない。ロシアからは黒海の領有とアルメニアの撤退を要求。トルコはこれを飲むことができず、この年墺に「ロシアはトルコがそんなに嫌いなのでしょうか?」と漏らしていたらしい。
しかし、ロシアに対して、「どうして墺露共同でブルガリアを墺に渡すという失敗をしたのか、参考までに教えて頂けないでしょうか?」と言われてしまっては、ロシアはいよいよ持ってトルコと組むことはできなかった。まず何より自国の決断を失策と言われるのは誰でも腹が立つものであるし、かつ、参考までという言い方も、自分が勝利を諦めていることを強く匂わせるものであった。自分が逆に少し落ち目の国と交渉するときは、気をつけたいものだ。
今季は今季で墺は自信満々で対土の継続(具体的には黒海スカしてのセヴァ海軍建造)を呼びかけてきたが、さっき偽計がうまく行かなかったロシアからすればあまり気持ちのいいものでは無かった。一方で、ここら辺で「どうもこの卓では墺露以外は外交上のやりとりが少なすぎる」という認識を墺露で共有した(してしまった)ので、墺露同盟が外交の基軸に座ったのは確かである。
2、独露交渉
西欧の情勢は、ロシアの地政学上のもう一人の盟友であるフランスがひたすらいじめられる展開が続いてしまったため、かなりロシアとしては苦しい展開となってしまった。また、イギリスは初年度2増を得て、海軍大国となっており、北欧での権益がおぼつかなくなってしまうため、ロシアからは昨春から、独露協調による対英を主張していた。
具体的には、春の段階では、北海が空白となっていたため、デンマーク海軍を北海にさし向けることを提案していた。(しかしこのタイミングでは、ドイツは対英に踏み切るのは少なくとも難しいであろうことは理解していたため、提案のみ)
そして満を辞して今季仕掛けたのが、2つの提案であった。
①仏独の間を取り持ってベルギーをどちらかが奪う話にできないか画策
②ドイツの北海進軍をロシアが支援
①については、三国チャットを作ったのだが、なぜか両国共に反応がなく(それはそれでどうかと思うが)頓挫してしまった。
まぁ①はそれはそれで難しい話であるため、本命と考えていたのが、②であり、ドイツからも「熟慮の上判断したい」との提案があった。
しかしここでドイツからは(春は無断で北海進行をやめてしまったためロシアがそれについては注意していたところ)やはり対英積極策は取らない、との通告があった。
この通告は正直ドイツ様の人間味が出ていたところかと思うが、冷徹な外交官であれば、むしろうちの提案を飲む形の返事を送るべきだったと思う。(理由は次の投稿で)