モリさんのボドゲ戦記

勝つためのボドゲブログ

しゃなたそ2月卓を振り返る⑧1904秋

<1904春行軍>

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<1904春調整>

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1、敢えて北海を譲る意味

ドイツはイギリスにプレッシャーをかけることを重視したため、北海海軍をヨークシャーへと撤退させた。

 一方で、この関係でデンマークがお留守になってしまったため、ドイツからはデンマークの一時割譲の提案があり、ロシアもこれを快諾した。

 ヨークシャーへの撤退は、北欧の盤面をさらにロシア有利に進める展開を誘発したと考えている。

 ドイツ海軍を北海に押し出したもう一つの狙いが、英独が「組みたくても組めない」という状況を作り出すことにあった。

 北海はイギリスの要であり、敵国にそこを抑えられると、イギリスとしてはたまったものではない。故にイギリスは北海に侵入した軍の排除を最優先事項に掲げるであろうと踏んでいた。

 となると、ロシアが北海に侵入してしまうと、イギリスの恨みを買うのはロシアとなり、ドイツがどちらに着くのかのキャスティングボードを握る形になってしまう。そのため、ドイツ海軍を北海に引き入れることにした。

 実際、昨年のstp増設からイギリスから英本土が狙いなのかとの書簡がきた際に、ロシアは英本土までは狙うものではないとの認識を示し、将来的な対独の可能性を示している。

 今季もドイツからのデンマーク割譲の話があったため、まずは平和裏にドイツぜめの拠点を作り、その後にイギリス海軍との協力を測ることをイギリスに提案し、これも了承して頂いている。正直このタイミングでドイツを攻めないのは、だいぶロシア有利な提案だと思っているが、これもイギリス本土を犯している訳ではないという印象が働いていたのかと考えている。

 

2、東欧情勢

 一方で、東欧は相変わらずトルコと「組みたくても組めない」状況が続いている。

昨季途中で墺はイタリアに宣戦布告しており、イタリアからは対墺に踏み切るよう要請が来ていたのだが、アルメニア陸軍の存在が非常に厄介である。昨季も露土同盟を組むべくイタリアに間に入ってもらいながら調整し、アルメニアとセヴァ間の空白化、モスクワ→ワルシャワによる対墺体制の整備の3つを行うことを約束していたが、トルコはアルメニアに軍を残し、ロシアはモスクワ→ワルシャワは行わず、という状況にあった。

 しかし露は対墺をしないことにより北欧での展開を生み出している面もあり、まだ対墺に踏み切る段階にはないと思っている。一方で、トルコはトルコでアルメニアを落とすと墺露の共同行軍で拠点が一つ落ちることは確定しており、ロシアに対して譲歩することは難しい状態に引き続きある。

 

3、墺露をいかに、いつ崩すのか?

 今季もイタリアから、ロシアにはウクライナルーマニアを使用しつつセヴァを守ることを約束させられた。一方で、墺からはセルビアブルガリアに行くのを支援してくれ、との要請があり、ロシアはこれを了承している。

 来季の行軍を見れば明らかなのだが、ここでトルコは黒海経由でブルガリアに攻め込むという行軍を計画しており、実はこれはロシアが墺側に乗る作戦を取らなければ成功していた。

 しかしイタリアからは「三国で約束した行軍を行え」とのみの発言が来ている状態で、ロシアは伊土に対する不信感が募り、結果的にトルコの計画した行軍を邪魔する形になってしまった。

 ここは伊土はどうすべきだったのかはかなり悩みどころであったと思う。思うに、伊土の狙いは、「ロシアに気づかれずに墺の勢力を削る」ということにあったのだと思うが、結果的にロシアは不信感を募らせてしまっている。

 例えば正直にこの行軍を明かした場合は、例えばロシアは二軍でセヴァストポリで突っ込む行軍をして、墺に対して「トルコに領土を取られることの危機を重視した」と言い訳しつつ、トルコのブルガリア領有を認める展開ができたと考えられる。確かに墺露同盟をロシアが重視していたのは確かだが、だからと言って墺の国力を削る行軍を鼻から認めない、ということもなかった。

 伊土から行軍を聞き出せなかった結果、きな臭い匂いを感じた露が、墺露の協力を崩さず墺にダメージを与える好機を逃してしまった訳である。

 この点、当時のロシアは確かに露伊土チャットを軽視していたが、もっと対墺のタイミングを伺っている点を正直に話せば、伊土から行軍案を聞き出せたかもしれない訳で、外交に手を抜いたための失着だった。