モリさんのボドゲ戦記

勝つためのボドゲブログ

さっとディプロを振り返る 6/17@上野上さま

性懲りもなくオフラインで一卓やってきました。

 詳細な進軍等は下記サイトに掲載されておりますので、今回は外交記録や戦略の思考を垂れ流すに留めます。

 

http://uenouesama.com/archives/1211/diplomacy0617/

一応1905秋までかつ9拠点が出たら勝ちのルールでのプレイです。

 

今回担当はロシア。

 

東欧情勢は、墺がトルコ攻めを国際的に宣言する過激な展開に。

 

ロシアとしては、トルコ攻めに加担する選択肢と、何故かロックオンされているトルコに救いの手を差し伸べるかの二通りの選択肢があり、悩みどころ。

 

トルコとは黒海SOで様子を見ましょうか、という話をでき、ひとまず安定した話し合いの模様に。

 

一方オーストリアからは、ルーマニアに進軍する代わりにトルコ攻めを確約するとの話が来る。

ロシアとしては、ルーマニアは確実に取得したい領土であるため、墺からの交渉は要求が高いことを伝えたが、実らず。

肝心のガリシアについても、不可侵との話になり、仮に約束通りの進軍になると、ロシアは南での領土を得ることが難しい状況に。

 

流石に墺との同盟は難しく、トルコとの協力を選択。

 

また、イタリアが対仏か対東欧でかなり迷っている様子が見受けられたため、一応フランスとの間に立って両国が衝突しないように手を回す。

 

個人的には英独が協力しそうな展開ら見えたので(少なくとも独仏による対英は無さそうという雰囲気)、陸軍による北欧占領だけ避けて欲しい旨伝達、後は特に有効打を打てる状況に無かったので放置。

 

1901秋

トルコとは無難な立ちあがりに成功。

何回か卓を回した感想だが、この時点で墺は

1 ガリシアを何らかの形でロシアが入っていない形にできている

2露土の間で、黒海のいずれかの侵入ないしはアルメニア進軍が発生している

3イタリアとの外交関係に成功している

 

という状況を生み出せるとかなり安定するのではと思っている。(ただしそのような墺を見た覚えは一度しか無い)

 

トルコとは引き続き協力関係を結びつつ、セルビアで墺とSOしてもらうことに合意。実際はギリシャをイタリアに取ってもらう支援をする話をしていたが、トルコは乗る訳もなく、ロシアもまぁイタリアが多少躓いても構わないので、ここはトルコの判断に任せる形を取りつつ、トルコがロシアに嘘を付いた形にする。

 

墺との交渉は低調であり、ガリシア進軍に相当落ち込んだ様子。ロシアとしては、ここでガリシア→ウィーンとすれば二増(北欧でのスウェーデン獲得は難しいと感じていた)が見込めると思い、かつ実際そう指令すれば二増を狙えたが、形の悪さと、二増によるヘイト上昇を危険視し、あえてブダペストで墺とSOを狙った。

 

ドイツとは正直この形ならSweSOは仕方ない旨伝え、外交関係がこじれないことを重視。

イギリスとも、今後の北欧(できれば非軍事化を行いたい旨伝達。)

正直ロシアが南で伸びそうなかたちに見えているのはあきらかなので、北で警戒されるのは仕方ないところ、それを受け入れて、理解をしめすことで、今後の外交をスムーズに行うことを重視。

 

1902春

ドイツのみが3増で国力6、ロシアは一増にとどまり、国力的にロシアが悪目立ちしない狙いは成功。

一方で、ドイツのベルリン艦隊は看過できず早めに接触。曰く、艦隊は出したいが、イギリスが怖かったとのこと。一応その言い分は受け入れつつ、どうかんがえてもドイツが北欧においていぎりすを重視していることは明らかなので、このあたりからイギリスに対独を提示、引き剥がしにかかる。

最初はまず北欧を持ち合い、しかるのちドイツを叩くこと。ウチとしてはシレジア進軍を行い、ドイツ攻めの意志を示すこと。この二点を確認した。

 

トルコとはこのタイミングで同盟の継続の代償として、黒海進軍に理解を示す。対墺速攻の形にはならなかったものの、きちんとお互いの立場を尊重して順調に露土関係を立ち上げることができたのは、良かった。

 

西欧はドイツがのびてしまったものの、イギリスの対仏が先に示されてしまったため、中々固まった二国同盟が育たなかった印象。

 

1902秋

墺が苦し紛れではあるがギリシャを領有したのはロシアにとって朗報。

トルコの二増の線は同盟破棄しなければないことに。また、その後の増設についても、海軍偏重にしてもらうことを依頼。

 

北欧は、残念ながら英独同盟継続。一方で、stpがこのターンに落ちる可能性がなくなったのは、決してロシアにとって最悪の展開というわけではないという認識。

シレジアに潜り込んだロシア軍の対応はドイツとしては難しく、ベルリンとミュンヘンの二箇所を効率よく守る必要が出てくる。

ロシアとしては、対独は世論の支持があるため、対独に良いかたちを作りたい。そのためには、バルト海を抑えるのがポイントと判断。イギリスに対して、バルト海への進軍の支援を依頼しつつ、自分の中でもバルト→ベルリンに対して支援を入れて、ベルリンでのSOを防ぎ、自軍をバルト海に進める手配を進める。ドイツ自身はシレジア進軍は仕方ないとの見解であり、そこまで外交がこじれることにならなかったのもよかった。

 

東欧は「ここまで露土が伸びてくる展開であれば、このまま7拠点ぐらいまでは協力していくのが強力」との認識を共有。無難に一増を手にする。

 

西欧に対しては直接介入しなかったが、ここでドイツが対シレジア露軍を意識する他ない結果、対仏戦線が一旦落ち着く展開になり、結果としてフランスを利する(そしてそれはロシアを利する)展開になっていたと思われる。(プレイ時はそこまで頭は回っていないが)

 

1903春

幸いにしてトルコが宣言通り海軍増設をおこなっため、この春での裏切りは無さそうと一安心。

イタリアには「君も墺を食べて頑張るしかない」旨伝達。

北欧は、イギリスが北海を抑えたこともあり、そろそろ対独せざるを得ない状況まで来た印象。

積極的に対独を示唆。具体的には、デンマークとベルリンが英露双方が二軍で殴れば、両方とも陥落する状況にあったため、「それが強いしそれで良いのでは」という話になる。

また、この進軍を行なってもstpはこの年落ちないことが確定するのもまたロシアにとって美味しい展開。きちんと1901時点でイギリスの北欧揚陸を防げたことが大きい。

 

1903秋

そろそろトルコが裏切ることを想定しつつも、ここは墺を潰すことを重視。

北欧は、ベルリン海軍が死にかけているが、イギリスにキールへの進軍を支援してもらうことで存命。

この場面、どいつはキールからベルリンに3軍で凸ればベルリン海軍を潰せるが、オランダとキールをイギリスに晒す行軍は無いと(後からみて)思った。(実際はリスク覚悟で突っ込んでいる)

 

フランスが対独の伸びばを失っているので

 

1904春

安定のワルシャワ増設。この国いつもワルシャワから兵が湧いているな。

トルコの裏切りは正直想定内。次の狙いもセヴァなのも分かっているが、ここはルーマニアを取り返しに行く。

正直北欧は捨てているので、ここでstpを守る動きは特にしない。海軍でstpを落とされても、特に痛くは無い。むしろセヴァにいるトルコ陸軍の行き先がなくなって好都合というもの。

このあたりからイタリアとの交渉が難しくなる。セルビアを上げると言いつつ、ルーマニアを全力で取り返しにいくロシア。許してくれ。

ドイツはイギリスの裏切りに怒っており、ロシアに甘い進軍が続く。ドイツ、フランスが緩やかに対英をした結果、ロシアに対するマークをしているのは実質トルコのみという展開に。そして、バルカンに送り込める陸軍の数で言えば、ロシアの方が上のため、巻き返しは十分可能。

 

1904秋

ここはセルビアをイタリアに譲りつつ、トリエステを掠めとる判断。先期ワルシャワ陸軍をシレジアに入れたのは正直行軍みすで、ここは流石にモスクワに引いておくべきだった。

まぁでも、アンカラを落とせるのは悪くない話。

北欧はイギリスのものに完全になったが、陸軍不足でここから先は進むことが難しい。ロシアも流石にこの局面で対独強力はできない。

 

1905春

まずは無難にモスクワを取り返しつつ、バルカンは我慢の体制。次に一気に領土の取り返しを図る。

 

1905秋

トルコ領土をめぐるSOするかせざるかの読み、トリエステで怒ってくれたSO、イタリアがブルガリア進軍を行なってくれたこと、トルコがルーマニアではなくギリシャ領有を選んだことなど、色々な条件が重なり9拠点に到達。

 

総評

総じて、他国の外交的判断を想定し、受け入れる口ぶりを貫けたのが勝因かと。あまりヘイトを買わなかったのがとかく大きい。あとは、中盤までトルコとの関係を安定的に築けたのも大きい。(これはトルコ様との相性も多分にあったと思われるが。)