露外交官回顧録 1901外交
1901春
初日は全体的に外交低調、二日目に外交が活発になったがちょうど私用が重なり、この日は外交できず。ちょっと我が国不利に傾く。
(この点は正直オンラインディプロマシーのかかえる問題点だと思っているが、割愛)
イタリアが露伊同盟を喧伝しまくったこともあり、なぜかトルコと墺からは最初からヘイトが高い状況で本格的な外交に突入。
イギリスとは形式的な話しか出来ず、フランスともあまり有効な情報交換は出来ず
途中までは英独墺土の軸が完全に出来たことを危惧していた。
しかし後半からはドイツによるチロル進軍の話のみが流れてきて、西側三国同盟が成り立っているとの見込みがもたらされたことから、東欧は一転して安定化、とりあえずトルコ、墺共に無難なたち上がりをする形にシフトした。
特にこのタイミングでトルコとは本音ベースの話し合いができたのが大きい。
1901秋
西欧三国同盟どころかどうみてもガチガチの英独同盟でしたありがとうございました。
この時点でややロシアは厳しいが、目下の東欧はガリシアとトリエステ、ギリシャが睨めている状況で、そんなに悪くないと考えているところ。
フランスへの到達はドイツとイギリス、どちらが早いかはびみょうだが、北欧経営にあたってはイギリスは確実に邪魔になるため、ここはイギリスを叩くべく、ドイツに対してスウェーデンをくれと泣きつく。
イタリアとは今後も東欧を分割する旨合意、トルコともここは対墺でまず問題ない旨確認。
具体的にはトルコがギリシャ、露がガリシア、イタリアがトリエステを同時攻撃することで、どこかは獲得できる完璧な行軍で合意。
よっしゃ勝ったなあ、風呂入ってくる🛀
…………
その結果がこれだよ!